切紙~慈仁
漢方薬の番号で4番はありません。
縁起が悪いとして避けたようです。日本的ですね。
漢方薬の番号はメーカーによってそれぞれです。
当ブログでは、ツムラさんの番号の順でまとめていますが、
今回はお休みして、ブログタイトルの「切紙」についてのお話です。
切紙の著者は、戦国時代に活躍した曲直瀬道三(まなせどうさん)という医師です。
曲直瀬道三は、応仁の乱の約30年後の混乱した京都に生まれました。
幼くして両親を亡くし、僧侶として修行をしてから、足利学校で学びました。
そこで出会った田代三喜という放浪の医師に出会い、医学の道に進みます。
田代三喜は、中国に留学して学んだ医学をもとに北関東を中心に患者中心の医療を実践していました。
道三は、三喜の医療を徹底的に学び、39歳の時に京都に戻って開業しました。
庶民から戦国大名、足利将軍まで分け隔てなく診療し絶大な信頼を得ていました。
後進の指導にも熱心で、啓迪院(けいてきいん)という日本初の医学校を作りました。
啓迪院には、全国各地から医学を志す者が集まりました。
道三は弟子たちから寄せられる質問に対し、折り紙を半分に切った紙に答えを書いて渡しました。
この切紙が集められて一冊の本にまとめられたものが、「切紙」という本です。
弟子の能力や習熟具合に合わせて一人一人に丁寧に指導していました。
切紙の冒頭で、医師の守るべき57カ条が掲げられています。
その第1条は、慈仁です。啓迪院の学則にもなっています。
近世漢方医学書集成4より
慈仁とは、仁を慈しむ、大切にするという事です。
仁は、孔子の論語で語られる最も大切な概念で、「人を思いやる気持ち」です。
大沢たかおさん主演のドラマ「仁」でも大きなテーマになっていました。
主人公が勤める大学病院のモデルになった順天堂大学も基本精神としています。
戦国時代は、日本人同士が、領地を争って殺し合いをしていた時代です。
コロナで苦しむ現代よりもずっと悲惨な世の中であったでしょう。
曲直瀬道三は、そんな中で慈仁を掲げて医療を行なっていました。
時には敵対する武将を同時期に診察した事もあったそうです。
究極の守秘義務を自分に課していたのだと思います。
その信念と精神力の強さには驚嘆させられます。
今後も道三の精神を学んでいきたいと思います。
参考:近世漢方医学書集成4 曲直瀬道三 名著出版
曲直瀬道三 乱世を医やす人 山崎光夫著
日本の中世から江戸時代の医学史 佐野晃夫著